ゆっりゆらっら

メロン王国から亡命した友人のお気に入りのマンガ・アニメ『ゆるゆり』が面白い。
なんだかこの前も書いた気がするけれど、もう一度かいても別にばちは当たらないだろう。
ちなつちゃんかわいいよちなつちゃん。
ああ、たしかにこんなことを書いた記憶がある。
まあ「ゆるゆり」はともかくとして、秋山はるさんの『オクターヴ』を読み終わった。
詳しはググッていただきたいが、女性同士の恋愛を描いたマンガである。
3巻を読んでから半年近く放置したあと、7月に4,5巻を読んで、今日ようやく最終巻である6巻を読んだ。
さっさと読まなかったのは、読むのがかなり苦しい物語だったからなのだけれど、最終的には間を置いて読んでよかった。
そのうち書けたら感想を書きたい。
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同時多発テロからもう10年だと言われると、長かったのか短かったのかなんだかわからなくなる。
当時まだ中学生だったけれど、とっくに中学も高校も大学も出たのに、未だにあの頃のまま何も変わっていないんじゃないかという不安。
別に9.11にかかわらず、なにかとそういう反省を繰り返しながら、他方でどこかで自虐していることに安心している。
現実感について言えば、10年前にテロそのものについてそんなものを持っていたかどうかを覚えていないし、正直今年の震災についてだって、私はよくわからないでいる。
直接現場を見たわけではないからかもしれないし、想像力が欠如していると言われればそのとおりなのだろうけれど。
でも多くの人が持っている、ということになっている危機感に共感できないし、十年とか半年とはいえ時間が経ってしまえば、どの人の意見を聞こうと編集された画像や映像を見ようと、そこには前提として当然に全体の一部でしか無いという事実があるのだから、うのみにするわけにはいかない。
報道に対する批判に対して、ネットの不正確さを挙げる意見を某放送局に対するデモに関する記事でたまに見かけるけれど、ネットの良さは真偽入り交じった情報が誰でも発信できるし、できてしまえるということであって、情報の「正しさ」ではない。
公共の電波を使ってマスに情報をかなり一方的に流すメディアと比較することは適切ではないと思う。
もちろん、何が「ただしそうか」くらいの確認をする程度のことをしなければ簡単に利用されてしまうぞ、ということを言いながら、ネットの都合のいい情報を鵜呑みにする態度には注意が必要なわけだけれど。
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住んでいる都道府県選出の大臣が就任早々失言で辞任するという、どうにも言いようのないニュースがあった。
私の選挙区ではないし、現在住んでいる都道府県に格別の愛着があるわけでもないので、とりあえず冗談程度の「我が都道府県がまたご迷惑をおかけしました」程度のもうしわけなさを表明しつつ、わりとどうでもいい。
それほど多いわけでもないけれど、数回の県境をまたぐ引越しをしているせいか、郷土愛的なものがよくわからない。
今住んでいる市にはもう10年以上いるけれど、故郷という感じはしない。
友達がたくさんいるから住んでいたいとけど。
住んでいる場所は、かつて住んでいた場所にはたぶん勝てないのではないかと思う。
少なくとも私の場合はそうだ。
「あの頃はよかった」という、思い出の美化もさることながら、その場所というよりも思い出の中のその場所という、単なる空間的な問題よりは時間的な問題が大きいのではないかと思う。
例えば特定の住所に行くことは可能だけれど、ある過去のその場所に行くことは当然できない。
だから今のその場所に行くことによって、その過去に行くことを補っている。
生者がおそらく、ぬくもりという点でのみしか死者の思い出に勝てないのと同様に、場所もまた記憶には勝てないのではないか。
もちろん個人的な感傷であって、きっとそんなことは無いと言われるだろうけど。