クローズアップ現代「増殖する監視カメラ」を見て

今日のクローズアップ現代が「増殖する監視カメラ」だったためか、4月に書いた「朝日新聞4月16日「オピニオン争論 監視カメラ社会」で考える」に何件かアクセスがあった。
番組の内容は、カメラの設置に関する問題、特にデータの扱いだったように思う(途中何度か席を外したので少し違うかもしれない)。
ちょっと個人的な話になるのだけれど、いま僕が住んでいる実家のマンションは、住人同士の関係があまりよろしくない。
マンションの理事会はいつも対立していつも長引いているし、親が理事長を(無理やり押し付けられて)やっているものだから、相談に来る人もいる。
小さな社会であっても対立が起こるのは当然なわけだけれど、その内容が問題で、感情的になっている一部の住人が対立する住人とのコミュニケーションを拒否したり、理由もなく非協力的な態度を取っていて、それがこじれてどう仕様も無い自体になっている。
中立的な住人を介して意見が交換されるのだけれど、効率も悪いし基本的に妥協する気がないので収まらない。
そして仲介させられる側はやたらと時間を取られて神経を使う(相手の都合を考えずに、相談にくる人が多い。うちの母親も、でかけ際に廊下で1時間も引き止められたこともある)。
さらに、マンションの住人と町内会も対立気味で、ゴミ捨て場などの地域の問題もなかなか解決しない。
これが普通の状態とは思わないけれど、僕が地域の力とかコミュニティの再生とか、そういうモノに対してあまり期待できないのは、たぶんこういうことが大きい。
監視カメラの設置という問題を考えるときに、映像データをどう管理するかということを考えなくてはいけないのだけれど、日本ではしっかりとしたガイドラインがない。
もし誰かが設置しようと言ったときに、それが恣意的に使われないとは限らないし、あるいはそういう使われ方をするのではないかと思い込む場合が十分に考えられる。
うちのマンションの周りでは「ゴミの出し方」や「車の停め方」「子どもの遊び方」などが度々問題になっていて、もし監視カメラが設置されたときには、これを利用した非難が行われる可能性はないとは言えない。
監視カメラ設置合戦になることもあるだろうし。
幸いにも、今のところ監視カメラをめぐる騒動は近所で起こっていないけれど、もし話題になったらと思うと気が重い。
去年今年と数件の事件が起こっているだけに、あながち無いとも言い切れ無い。

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ところで番組内で国谷裕子さんが、監視カメラが増えることで「なにか大事なモノ」が失われるのではないか、と僕が聞いた限りでは二回ほどおっしゃっていた。
具体的な内容がわからないのでなんとも言いようがないけれど、雰囲気としては地域社会の信頼とか話し合いによる協力とかそう言うのではないかと思う。
が、あくまで想像なので国谷さんの「なにか大事なモノ」という発言と直接は関係なくちょっと思ったことを書く。
最近たまたま児童虐待に関する本を数冊読んでていて、通報のハードルの高さという問題を考えなおさなくてはと思った。
児童虐待の防止等に関する法律」では第六条で

児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。(参照:http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi)

と定めている。
誰でも虐待を受けたと「思われる」児童を発見した場合には、しかるべき措置をとることが義務付けられているわけだ。
しかし実際に通報することはなかなか難しい。
間違いだったらという不安があるし、通報して児童相談所の職員が訪問した場合、それが近所の噂になって、住みづらくなるということも考えられる。
川崎二三彦さんの『児童虐待―現場からの提言 (岩波新書)』の中では、カナダの取り組みが紹介されている。
注目すべきは、誤報だったときに通報された側のケアが専門家によって行われているということだろう。
疑いがあれば通報するということは、子どもを守るためには必要でも、疑われた親にしてみれば精神的なショックが大きい。
それをカバーする制度があれば、通報もしやすくなるし、通報がしやすいということは、それが前提という意識が形成されるといことだ。
たしか朝日新聞の読者投稿欄に「児童相談所の職員に訪問され腹がたったが、考えてみると通報してくれる人がいるということは安心だ」という趣旨の投稿が掲載されていたけれど、こういう意識がどれだけ広がるか、広げられるかということだと思う。
で、少し遠回りになったけど、監視カメラが増えて地域の絆のようなものが失われるという議論は、まだそれが残っていることを前提にしている。
たしかに疑心暗鬼は不安を生むとは思うのだけれど、一方でどれだけその絆に期待できるのかというのは地域にもよるだろうけど疑問だし、そしてそれは良い面だけではない。
制度ばかりに頼ることはできないけれど、一方でそうせざるをえない部分もあるとおもう。
どのような目的で、どのように運用すれば、何が達成できるのかがはっきりしているならば、「失われる何か」を補えるんじゃないだろうか。

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