『日傘のお兄さん』(豊島ミホ、新潮社文庫『日傘のお兄さん』所収)

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 王子様がお姫様を助ける話というほど簡単な話ではないし、そもそもお兄さん=王子様とするにはやや宗助の行動には問題があるけれども「不幸なお姫様の前に王子様が現れ、幸せになる」という筋はこの話のメインのラインになっている。ただしその救済の方法はやや捻くれている。王子様との結婚が古いおとぎ話におけるお姫様の幸せならば、この現代の物語のお姫様=夏実が王子様によって与えられる幸せは、ネットワークへの復帰あるいは参加だ。むしろ、自分を受け入れてくれる存在を手に入れるのは、夏実ではなく宗助の方である。
 主人公の夏実は幼い頃に両親が離婚し、母親と共に生まれ故郷の島根から東京に引っ越さなければならなかったことが原因で他人と素直に接することができない。また、家庭に金銭的に余裕がなく、携帯電話もPCも持っていない。人間関係というネットワークからも、情報ネットワークからも距離があるところに夏実はいる。彼女をそのような状態においているのは、両親の離婚であり、そしてその離婚以前の過去の思い出=お兄さんと過ごした竹やぶでの記憶だ。
 お兄さん=宗助は、夏実にとって不幸な現状からお姫様を救済にやってくる王子様であると同時に、過去への使者でもある。彼女は宗助と一緒に、竹やぶという幸せだった過去へと向かうために家出をする。しかし宗助は「本物」の過去への使者ではない。彼も過去と現在までの時間を同様に被り「成長」をしてしまっているからだ。
 ネットワークの方から先に片付けるとしよう。お兄さんの噂によって夏実はネット掲示板の存在と、その使い方を知る。そしてお兄さんとの旅行の後、過去からの呪縛が消える(=思い出の場所が無くなっていた)と同時にみっちゃんと宮川というネットワークへのきっかけに繋がる(気がつく)。さらに付け加えるならば、将来の目標(=お兄さんの代わりに医者になる)を手に入れるのだ。人間関係と情報ネットワーク、そして根拠を持った目的という三つは、現代に置いて幸せに生きる条件のようなものだ。お兄さん=宗助の登場によって夏実はネットワークへの参加という幸せを手に入れる。
 他方、過去との対立という軸を考える。お兄さんと再会するまでの夏実は「過去」に縛られている。お兄さん=「本物」ではない過去の使者=偽の使者、はその過去へと彼女を連れ去ろうとする。しかし彼は偽物であり、目的地で過去の象徴である竹やぶはすでに思い出の中の姿を変えてしまっている。ここで偽の使者という性格は、夏実に過去がもはや過去でしか無いことを知らしめる役割を負っていることになる。また、宗助はその行動によって、夏実の「お兄さん」という存在への幻想性を現実的なものへと変換していく。
 『日傘のお兄さん』はネットワークから疎外された少女の救済=ネットワークへの位置づけという物語と同時に、その少女の過去の束縛からの解放という成長物語として読むことができる。夏実はお兄さんとの旅を通じて過去からの呪縛から解放され、現在=現実=ネットワークへとつながっていく。あるいはこうも言い換えることが出来るかもしれない。マイノリティをマジョリティへと変換すること=成長と描いている物語であると。夏実というネットワークから疎外された存在=マイノリティは、お兄さんとの旅行を通じて幸福になる=マジョリティ化する。情報ネットワークは当初、マイノリティである夏実とお兄さんを追い詰めている、というのにだ。
 ここまでは夏実を軸とした読みだ。しかしお兄さん=宗助を軸に再構成すると、この物語の裏の面が姿を見せる。宗助はこの物語では救われない。彼にとってのこの物語は、過去への逆行の失敗である。彼は永遠を手に入れる=死ぬこともできず、「王子様=お姫様=夏実」(自分を受け入れてくれる存在)との将来の約束のみを手に入れただけにすぎない。それも夏実がネットワークと繋がったことによって不確かである。日光アレルギーであることを原因に人間関係から疎外された宗助は、夏実に会う=過去と再会したために情報ネットワークからも疎外あるいは虐げられることになる(後に削除されるにしろ、ネットの情報は残る可能性がある)。
 この物語が単純な「思春期の少女の成長物語」に終わらないのは、宗助が結局のところ夏実と関係を築く以外のものを得られていないという点に収束する点だろう。彼の問題は何一つ解決せず、ただ夏実の前向きさの前に覆われてしまっているように見える。ではどう考えるべきなのか。おそらくネットワークへ回収されることへの疑いだろう。
 宗助は人間関係というネットワークには(夏実との関係を除いて)位置づけられず、情報ネットワークにも迫害される。無数に張り巡らされていると思われるネットワークの網目、あるいはその「無数に張り巡らされている」という前提に立った傲慢さの隙間に、宗助は存在しているということが言えるのかもしれない。さらに言えば、そのようなネットワークが、過去を代替えするような状況を省みる必要があるとも言えるのではないだろうか。
 夏実による過去との決別と新しい現実(=ネットワークへの参加)は、様々なものを覆い隠すことで達成されている。ネットワークは参加することで過去と未来と今を包括する平滑的システムである。しかしそのシステムは不参加者の存在を参加者に伝達するとは限らない。ネットワークに回収されなかったもの・回収しなかったもの=宗助の立場から再構築した時、この物語が持つ意味は暗いものを含んでいるのではないか。
 おそらく、後の豊島ミホさんの物語において中心を担うのは宗助的キャラクターではないかと思うのだけれど、それはまた機会があれば書きたいと思う。