豊島ミホ「ブルースノウ・ワルツ」

ネタバレ有り?




 「大人になる」ということからいかに逃れられないのかということを、この小説は描いているのだと思う。「子ども」というのは「大人」を絶対的なものだと思う人々のことだと思う。ラカン派の言う「知っていると想定される主体」としての大人と現実の大人が異なることを知ることが成長であり、そして自らがそういうものであるということを知ることが成長なのだ。
 この小説の主人公の少女は成長を拒否しようとする。「大人」の「母親」のようにはなりたくないと思っている。しかし彼女の母親は、決して彼女が想定している単純な「大人」ではない。そもそも「単純な「大人」」など存在しない。三人称で書かれて入るものの、結局少女の視点でしか無い語り手はすでにそれを「知っている」が「気がついて」はいない。「成長」に抵抗しようとしての逃走は失敗するが、端からそれを成功させるつもりなど少女にはなかったのだ。彼女は家のなかでなくては生きていけない。そんなことははじめからわかっていた。
  「正面」から逃げるべきではなく、どこからとも無く抜けださなければならなかった。それをしなかった少女の選択は、すでに諦めに満ちている。しかし彼女を責めることはできないだろう。それしか他に思いつかなかったのだろうから。
 少女は「溶けない氷を自分の中に一つ」作ることで、「子ども」としての自分を維持しようとする。しかし核を持つことこそ「大人」になるということだとすれば? 「子ども」を保持できるのは「大人」だけだ。野生児と踊る少女は、既にそれに取り込まれている。
 逃げ道を探るとすれば、それは少女と語り手のズレだろうか。語り手が「成長」した少女だとするならば、幾数ものズレから逃走経路が見いだせるかもしれない。