勝手にふるえてろ(綿矢りさ)


あらすじなどはこちらを参照してください(冒頭の立ち読みができます)
以下ネタバレ注意

                  • -

最初に一読したとき、非常に残念だと思ったし、ツイッターにもそうつぶやいてしまった。
残念というのは内容がつまらなかったということではなくて、主人公ヨシカの選択に対する感想だった。
端的に言うと、(『イチへの想い』というフィルタ越しにニを見ているヨシカの視線で語られているという前提であっても)二はいい男だとは思えないし、二人はうまくいかないだろうなと思ったからだ。
が、よくよく考えてみるとこれは『イチに対する想いを抱えたヨシカ』という前半部分のヨシカに感情移入した結果でしかない。
前半(イチが自分の名前を覚えていてくれていないということを知るまで)におけるヨシカのイチに対する評価は過剰で、それは二人の接触の少なさと時間の経過による思い込みと美化ではないかと思う。(むろんこれはどちらが悪いとかそういう問題ではない)
ヨシカ視点で語られている以上、常にある人物に対する評価は彼女の目というフィルタを通して見ていることになる。
そのため、僕の中ではイチ=「天然王子」と、ニ=うっとおしという評価が固まった。
問題は中盤・後半である。
中盤まではヨシカ視点で読んでいたはずが、イチが彼女の名前を覚えていなかったという段階で視点がヨシカからメタ的なところに引き上げられた感があった。
それはおそらく、彼女の中での「『中学の時に好きだった人』が今でも好きな私」という物語が終わったからではないかと思う。
一度メタ的なところにヨシカ自身が引き上げられたということであり、ここまでは、僕は彼女と物語を共有できていた。
しかし、後半部分に入ってから、彼女の視点が再度別の物語の中へと降りて行ったのに対して、僕はその物語(最終的にはニに惹かれるという物語)に対する態度を共有できなかった。
それは前半におけるイチとニの評価を僕が引きずっていたから、ヨシカが物語を切り替えたのに対してそれについていけなかっただけではないか。だから二を選ぶという選択が非常に残念だ。
親もとに戻るという退路も絶たれ、信頼していた同僚にも裏切られた彼女が、最終的にニに頼らざるを得なかっただけのことで、この選択はどう見てもその場しのぎだろう、と前半のヨシカなら思ったのではないか? と

    • -

しかし再度考えてみると、彼女はそんなことも含めて分かっているのではないかと思う。
まず、この小説が一人称で書かれながら非常に他人ごとのような雰囲気が感じられる。
ページ数もそうなのだけど、全体的に表現が薄いし冷静だ。
彼女がオタクだということは、そしてそのことに対する描写が少ないのは、彼女が自分をキャラ化していてメタ視点からの俯瞰が可能であるということを示唆しているのではないだろうか。
彼女は自分が、「イチに対する想い」という物語とその中で自分がそういうキャラを演じていることも、その物語が破綻した後に、ニとともに演じる物語とその登場人物として自分が相応のキャラを演じることを、どこか冷静に俯瞰しているのではないか。
イチとニがどうにもキャラクターくさい割に、ヨシカはあまり色がない。
彼女はキャラクターとして物語を生きている自分を俯瞰している冷静な観察者なのだから、そもそも二を選んだ事自体が残念であるかどうかは彼女にはあまり関係がない。
ただ、読者がその二つの物語のうちどちらを好むかどうかという問題のような気がする。
なのでそういう意味で、決して残念なお話ではなかった、という結論にいたった。

        • -

これ、恋愛小説なの?