陽の子雨の子(豊島ミホ、幻冬舎文庫)

帯に書かれた「青春の輝きと残酷さを刻む 胸に染みる物語」という文句が絶妙だ。
この物語にはまさに輝きと、そして残酷さがある。

ストーリーは男子中学に通う14歳の少年、夕陽が偶然に24歳の雪枝と出会うことから始まる。
連絡先を交換した彼らは、何度か会い、やがて夕陽は雪枝の家に遊びに行くが、そこには聡という19歳の青年がいた。
聡は15歳のときに家出をし、雪枝に拾われてそのまま家に住み着いていたのだ。
夕陽の登場で、雪枝と聡の間の関係に微妙な変化がおこる……。

物語は全編、夕陽と聡の交互の語りで描かれ、ふたりは思春期の少年の対照的な姿を雪枝に見せている。
夕陽はふつうの男子中学生で、しかしある種の潔癖さを持っている。
異性として意識してしまったことを雪枝に、自分は汚いと告白し、彼女に触れられるのに触れることをためらう。
彼はリアルな中学生だと思えるが、しかしキャラクター的だ。
なぜか。
彼は思春期の少年の半分がわの性格を色濃く持っていて、それを常に全面に出す形で表現されている。
普通の中学生という面も描かれていて、それは松田との会話や、あるいは清水との関係性に垣間見える。
しかしやはりキャラクタ的なのは、松田との関係におけるふつうさではなく、最後のシーンで清水に詩の暗唱を頼めてしまう純粋さ、に一番表れている。
たしかに自分の思春期にいたであろう彼は、しかし単独の人物としてではなく、僕たちの中に、後述する聡と同居していた。
灰色の点々が怖いと言う彼の、灰色の点々とは『間違いや、不幸や、行き違いや、どうしようもない悲しみはあって、僕らの世界にしとしとと溜まっていく。』もののことだが、それは僕たちがすでに見失ってしまったなにかである。
妙に冷静な面を見せる彼の、しかしどこか子どもっぽい部分は、結局この灰色の点々が見えてしまっているというところなのだろう。
彼を軸にしたとき、この物語が写すのは、おそらく大人になるということつまり社会に一員として迎えられてしまうということなのだと思う。
大人になるということは、周りにいる大人を自分と相対化することだ。
それまでの頼る存在だったものから、自分とおなじ人間として大人をみることだ。
そうすることで社会という相互の関係性によってなりたつ場所の一員となる。
そのために乗り越えなければいけないのは、周りにいる大人を、自分と同じ人間だと思わなければならず、それはある種の信仰を失うことに等しいのだと思う。
人によって、その対象は違う。
例えば親だったり、あるいは教師だったり、あるいは身近な大人だったり。
その対象がだれであるかということが、実はかなり大きく影響するのだろうということは、聡とのあるいは雪枝との比較のなかでわかる。
夕陽は、雪枝、そして聡との関係性によって、大人になる。
彼は彼らに出会う前から、すでにその予感と不安を内包していた。
それが物語冒頭の灰色の点々であり、雪枝に平等に扱われてしまうということへの不安であり、そして自分が雪枝を「年上の友達」として見れないということへの不安だったのだと思う。
聡はどうか。
彼は夕陽に比べて年齢が上にも関わらず、子どもっぽいところがある。
そして彼よりも警戒心や遠慮が少ない。
彼は家庭の崩壊によって、そして頼れると思った雪枝の弱い面を見て大人になるという手順を踏んだ。
夕陽が雪枝と聡という自分の外側、「くぐる」という表現で表される雪枝の家という場所で大人になるという手順を踏んだのとは違う。
元々の性格、という問題も在るだろうが、しかしこれはこの物語の中では二人をわける最重要のポイントではないかと思う。
聡の経験は、家庭が壊れそこに自分の居場所が見つけられなくなり、家出をして雪枝に拾われ、そのまま四年間もその家に居座っているという経験は、リアルではない。
しかし夕陽と彼を比較したときに、どちらに共感出来るか、どちらが自分に近いかと言えば、それは聡の方だ。
たまたま雪枝と同じ歳の、二四の僕にはもう夕陽の見ている灰色の点々も見えなければ、彼のような潔癖さも持ち合わせてはいない。
あるとすれば雪枝のもつ子供っぽさであって、しかしそれは夕陽のもっているものとは違う。
聡は思春期の少年に、夕陽と同居しているもうひとつの性格のを現している。
彼らはふたりとも極端にデフォルメされていないし、どちらかに、つまり好奇心や行動力だけにも、潔癖さだけにも振れていない。
ふたりがいることで、そこに現れるのは「ふつう」の思春期の男の子だ。
そしてたぶん、雪枝が夕陽に声をかけたのは、結局そういう理由があったのではないかと思う。
雪枝は先の二人とはまた違う大人への手順を踏んでいる。
病気の母親、優しい母方の祖父母、そして継母と父親。
中と外が入り交じった状態で、しかしそれを受け入れながら大人にならざるを得なかった。
そしてそれを理由に「トクベツ」になりたがる。
彼女の「ふつう」へのこだわりと、特異な行動は、結局普通と常に比較しなければトクベツになれないということに対する苛立だったのではないだろうか。
一五歳の聡を拾うという特別さは、しかし聡が生活になじむことで薄れてしまう。
なにより聡はしかし普通ではない。
普通な聡を、しかし特別な存在だと思わなければいけないというねじれた状態の修正に必要だったのが夕陽なのではないか。
先に書いたように、聡と夕陽は二人いることでバランスが取れるように思う。
それをどこまで雪枝が意識的に行ったのかはわからないが。
(聡が、夕陽をかつての自分だと思うような描写があるが、それは一方通行の思いだった。
だから、必ずしも二人のそれぞれの主観ではそうは思わないかもしれないが、雪枝という第三者から見たときに、二人は相互補完してひとりの「ふつう」の少年になるのではないだろうか。
しかしその状態自体がふつうではない。)
自分がトクベツであるということのアピールに、彼女は夕陽に対して、はじめて家に呼んだ日に聡を縛って押し入れに放り込み、それを見せた。
次のときには、聡との性行為を見せつけた(正確には夕陽は見てはいないが)。
これらの雪枝の行動は、確かに「ふつう」ではないことを「ふつう」の中学生(この場合は夕陽のみ)に見せることで自分が「トクベツ」であるということを自分と「ふつう」の夕陽に感じさせる。
しかし「ふつう」の中学生はそんな体験はしないし、しかもやや「ふつう」ではない、冷静で潔癖によっている夕陽は、それを動揺しながらも受け止めてしまう。
このときトクベツなのは、雪枝なのか、聡なのか、夕陽なのかが非常に曖昧になってしまう。
自分の特別さを確かめさせるための行為を「ふつう」の中学生に見せるという行為の「ふつう」さを、彼女は考えてしまったのではないか。
「トクベツ」でいたい、と言うことが子どもらしく見えてしまうのは、社会が想定する均質な大人からはみ出した存在になりたいということだからだ。
その典型が子どもという存在だから、その欲求は子どもっぽく見える。
そしてやはり短歌という表現をしたいという彼女の欲求も子どもっぽいのだ。
彼女は結局、「ふつう」の聡(雪枝と喧嘩して外に出、昔の同級生と会うことで、そしてアパートのトラブルを解決することで自分を再度相対化した聡)に支えられる形で「トクベツ」であることを諦めないことを選ぶ。
それは「ふつう」であり、そして「トクベツ」な(彼女が望んでいるトクベツではなかったとしても)状況だ。
すでに大人であった彼らが、変わることで変わらないということを選んだのとは違い、夕陽は変わってしまうことを受け入れざるをえない。
彼が手紙に書いた灰色の点々に覆いつくされる前に、できるだけその前の景色を見ておきたいと言う表現は、前向きであるようで、実に残酷な現実を受け入れざるをえないことを表している。
彼はやがて、結局その灰色に覆いつくされた世界に慣れてしまい、ほとんどその前の景色を思い出すことはないだろう。
それはもはや灰色の世界(=社会)に飲み込まれてしまった大人が、社会というフィルター越しにしか見れないように。(フィルターを意識した上で、あえてそのフィルターを無いものとしてみようとしても、しかし結局そこにあるのはフィルターにフィルターをかけて、見ているつもりになったフィルターの無い景色でしかない。)
それでも、清水が朗読する詩のような瞬間だけ、再生される景色は、あるいは本当にフィルターのかかっていない景色なのかもしれない。

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この小説はとても残酷だった。
誰に対してかと言うと、もはや夕陽には戻れない僕にとってだ。
圧倒的に共感するのは雪枝であり、つぎは聡だ。
いつまでもトクベツでいたいという思いは、雪枝と、そして夕陽は共通しているが、しかしその内容は違う。
僕や雪枝が目指すのは再取得であり、夕陽の不安は失ってしまうことだからだ。
もう見えない灰色の点々は、しかしそれが消滅したのではなく僕の視界をすべて覆ってしまったのだろう。
もう一度夕陽のように世界が見れたらと思わずにはいられない。

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設定やキャラクタの性格は、やや現実的でない部分があって、もしかするとそこが、豊島さんがあとがきで書いている「他人からあまりすかれていない(らしい)」ということにつながっているのかもしれない。
しかし、細部の感情の拾い上げ方、例えば「灰色の点々」や聡の「スイッチ」などの表現はとてもリアルで、雨の描写とあわせてある種のファンタジー的な読み方もできる。(別に普通の小説として読んでも全然面白い)
明るく楽しい青春小説ではないが、青春の残酷さをこれほどリアルに表現した小説を僕は読んだことがなかった。
是非読んでいただきたい一冊。

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