「誰でもよかった殺人」が起こる理由

『「誰でもよかった殺人」が起こる理由』(著:加納寛子、日本標準ブックレット)を読んだ。
70ページの薄いブックレット。
言いたいことはわかるけど、それって結局いつも言われてるようなことだよね、という内容。
派遣労働批判が行われる中、教育という視点を重視しているところはたぶん当時としては新しいし議論として面白かったのではないかと思う。
が、
「閉塞感に絶望し、自分以外の者に怒りをぶつけ、座り込んでしまうタイプは、「誰でもよかった殺人」予備軍なのである」(P27)
「80歳近い老婆から、9歳の少女まで、犯罪予備軍として注意を払わなければならないのである」(P62)
という表現が端的にこのブックレットの内容を表しているように思う。
他の箇所で、「「テレビっ子」も、一昔古い時代の言葉になりつつあり、ゲームもアニメやマンガも徐々に若者からの支持を下げ、オタク文化は若者の中心でなくなり、ポストモダンは崩壊寸前である」(P50)という文章もあった。
結局著者がやりたかったことは、理由の発見でも何でもなく、自分の考えを証明するための材料集めとその発表にすぎない。
そこに若者を理解しようという気はなく、被告である加藤氏の女性差別的な発言にデータを使って反論し、一方で前述のポストモダンについての言及には一切データを出さないなど、感情的だと揚げ足をとられかねないようなところもある。
そもそも唐突に触れたポストモダンに何の説明もなく、オタク文化云々のなにをもって衰退して、それがどうポストモダンと関わっているのか一切不明である。
よくできた作文、せいぜいちょっと詳しいブロガーがブログに書いたレベルといったところだろうか。
犯罪予備軍」という言い方には、自分たちの価値観の外にあるものに対する排除の思想が感じられてならない。
それならそれで構わないが、この程度で理由を述べたつもりならば、そしてこの意見に同意するような人が多いならば絶望的だと言わざるを得ない。
加藤氏に近い世代の者として、こんなもののダシにされた彼に同情すらしたくなった。