『シトラス』(香魚子、マーガレットコミックス)

ネタバレ有り

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香魚子「シトラス」(マーガレットコミックス)

田舎の小さい町の中学生たちの物語。
『青春が甘酸っぱいなんて嘘 ただ酸っぱくて苦いばかり』(2巻帯より)という言葉が秀逸。
過去の私がいたから今の私がいる、だけど今の私がいることと過去の私がいることは関係がないことだ。
主人公たちはそれぞれに悩みや問題を抱えていて、それが綺麗に解決されるわけでもなければ、何か大きな事件が起こるわけでもない。
ただその時その時を精一杯過ごしている。
そして各エピソードは必ずしも繋がらず、まるで点と点を飛びながら読んでいるような気持ちにもなる。
中学の卒業というオートマティックに流れる時間が準備する強制的なイベントが、点と点を事後的につないで自らの時点に収束させているように感じさせるだけだ。
あるいは収束させるのは、点と点が現在あるいは物語の物理的な終わり(マンガの連載の終了)に収束するという私たちの思い込みなのかもしれない。
先に挙げた言葉は、この収束を否定する。
現在という時点にいる私は、特権的に私を統括する権利を持っていない。
「今思えばあの時の私は〇〇だった」という考え方は、過去の私を否定する意図があるならば傲慢だ。
登場人物の一人・崇は、想いを寄せる先輩のカメラの修理を依頼され、カメラに保存された先輩と男子生徒の写真を見てしまう。
「壊れたものに執着しすぎなのかな」と言い、やっぱりカメラを捨てて欲しいという先輩に、崇は「大事なものなんだろうなって」と言って印刷した写真を返す。
写真は存在した過去を保存する。
楽しそうな写真を悲しいものとするのは今の私であって、写真を撮った段階ではそんな意味はその過去にはなかった(当たり前だけれど)。
反対もまた然りだ。
偶然振り返った今を起点に過去の点をつないで線を収束させる必要はないし、そうすることで点それぞれの意味を読み替える必要はない。
今"だけ"の肯定、点それぞれのそれぞれとしての肯定は、決してそれらを振り返る未来や今の否定ではなく、今・未来の絶対性の相対化の方法ではないだろうか。