無題

 知人の命日近くだったので、電車で二時間ほどのところにある墓まで行ってきた。別に日帰りで構わなかったのだけれど、他の用事もあったので一泊した。
 葬式を含め、死者のの死後に行われる儀式が死者のためだと思っていない。慣習的であり、自己満足的であると思っている。特に親族でも無いのに墓参りに行くことは義務でもないのだから自己満足だ。ということで今回は全くの自己満足だった。
 生前の彼のことを私は率直に言って好きではなかった。自己中心的で人のことなど考えていないようだった。腐れ縁で何年間も付き合いがあったけれど、積極的に会いたい人ではなかった。それでも、もう会えないとなってしまうとなんだか会いたいような気がして、つくづく死人は卑怯だと思う。もちろん死人は卑怯ではなく勝手にこちらがそう感じているだけなのだけれど。
 文句は届かず、良い悪いにかかわらず思い出は美化されてしまう。なるべくそのままに残しておきたいものも、何度も保存した画像みたいに劣化していく。劣化すれば細部の問題は見えなくなって、ぼんやりとした輪郭だけが残る。もう経験しない思い出のぼんやりとした輪郭は、余程のことがない限りきれいだと思う。
 墓参りと言ったって、別に何を供えるわけでもなく墓の前を通っただけだ。某流行歌ではないけれど、別にそこに何があるわけでもないと思う。誰も見ていないのに線香をあげたり、花を供えたりすることには意味が無い。ちらっとだけ見て帰ってきた。
 別に真剣なことは何もなくて、昨日のTwitterのつぶやきを見てもらえればわかってもらえると思うけれど、移動中に本を読んで、宿泊先ではウィスキーを飲みながら映画のDVDを見ていた。その程度の話だと思っている。
 本当は今年は行く気がなかった。出席すべきイベントがあって、そちらに行こうと思っていた。だけどまあ、比較すればどちらもどうでもいいと思ったので、せっかくだから一人でいられる方を選んだだけだ。楽しいイベントの途中につまらないことを思い出すよりも、つまらないときに楽しいことを想像する方がましだという程度だった。やっぱりイベントに行けばよかった。