GIRL FRIENDS―ガールフレンズ―②

GIRL FRIENDS―ガールフレンズ―[2]』(著:森永みるく、ActionComics)を読んだ。
1巻の感想はこちら
1巻の最後で、寝てしまったあっこにキスをしてしまったまり。
あっこを意識して不自然な行動をしてしまい、一方のあっこもそれを気にして……。
という、ある意味古典的なすれ違いと、あっこに彼氏がいた(実際は誤解)ということを知ったまりが、気持ちを吹っ切るために、再会した小学校の時の同級生と付き合うことになるという流れ。
まさに恋愛であり百合でありな展開と、森永先生のキラキラした絵に、また眩し死にしそうになった。

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以下ちょっと関係のあまりない話。
ちょっとヒロインの処女性の問題について思ったんだけど、少女漫画における相手側の貞操の問題ってどういう捉えられ方をしてるんだろうか。
男性向けの萌えアニメやゲームだと、『かんなぎ』や『下級生2』に対する反応みたいなことがあって、これはこれで気持ちはわかるんだよね。
なんていうか、ファンタジーとして消費している作品に、自分(あるいは自分を投影する主人公)以外の男性との性行為という生々しさが想像されてしまうと、ファンタジー性が維持しにくい。
とくにいわゆるエロゲではなく、あくまでも全年齢対象だと、そういう行為の存在自体がオリジナルのレベルで表現されてしまうことに対して引いてしまうんじゃないかと。
そういう意味で、技術レベルや流通レベルでオリジナルと同人誌の区別が限りなく無くなっているとしても、そこにはれっきとした差があると思う。
オリジナルは「見ないといけない」けど二次創作は「見なくてもいい」。
ただ、別にふつうのマンガだったら、ヒロインがバージンだろうがそうじゃなかろうが、それは必然性の問題になってくる気がする。
このマンガの自分の中での位置は、ファンタジー的な消費では必ずしも無いんだけど、必然性の無いヴァージン喪失の描写があったら微妙に引いてたかもしれない。
「必然性」がなんなのかを上手く言えないけど、作品内でキャラクターがそのことに傷つくということがなければ、それは必要な経験だったんじゃないかと思うんだけど。
そういう意味では、べつに初体験云々の話ではなくて、過去における主人公以外のキャラクターとの関係が、ということか。
いわゆるネットの処女厨の殆どはネタだと思ってて、結局彼らが対象にしているのはファンタジーとして消費されるものに向いているわけだから、あんまり深刻に捉える必要はないと思ってる。
なんかそういうの気持ち悪いと思っている人がいたら、たぶんそういうことだと思うよ、ということで。
なんていうか、それぞれ記号的なエピソードには配置されたときに不快感があるときと必然性がある時があって、萌えに対する非処女性のすわりの悪さっていうのはある。