カンニングといえば別冊コロコロコミックのギャグマンガが……

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若干いまさら感のある話題についての私見というか、思ったこと。
僕はカンニングするかしないか、というのは、モラルの問題よりも選択の問題だと思います。
そもそもモラルがどの程度強度のあるものか、ということもありますが、基本的にカンニングは「モラルに反する行為」というのは共有されている。
でも、そのモラルに乗るか乗らないかというのは、直接的なり間接的に強制はされるけれども、選択の問題です。
ルールにしても、そのルールを守ることが、そのルールが適応される場に参加する条件であったとしても、その条件を守るか否かという選択はルールの範囲外です。
「モラルを守れないと不利益がある」「◯◯を禁止する。違反した場合は△△」というような状態で、「守れない」「違反した」というのはその状態が発覚した、つまりカンニングで言えばカンニングがバレたときに問題化する。
バレなければ問題ではない、少なくとも社会的には。
モラルやルールを守るか、あるいは守らないかは、一見前者は当たり前で後者は特殊なようですが、いずれにせよ僕たちはどちらかを選択している。
「守るのは当たり前」と言ったとしても、守らないという別の選択肢も用意されている以上、それは選択です。
二つのうちから一つを、あるいは複数のうちから一つを選択する以上、その選択にはなんらかの理由があり、そしてそれは大抵の場合自分の利益になるはずです。
カンニングをしない、という選択は、カンニングをしたときの「発見され、失格になる」というリスクを回避し、公平な審査を受けられるという利益があります。そして、自分の良心にダメージがないという利点もあります。
一方カンニングは、見つかったら失格になる上に、場合によっては今回のケースのように大問題に発展するかもしれない、しかも良心が傷つくかもしれないというリスクがあり、一方で勉強するより安易な方法で試験を通過できる可能性がある。
カンニングは、ノーリスク・低リターンのルール遵守か、高リスク・高リターンのルール破りか、という選択の問題であり、モラル云々とはやや次元が違うのではないかと思います。
「真面目に勉強していたのに許せない」というような意見は、ノーリスクでとった低リターンを当然得られるものとしているわけですが、その怒りを向けるとするならば、ノーリスクでノーリターンの空間を提供できなかった場に向かうべきでしょう。
カンニングが高リスク・高リターンなのは、多数を占めるモラル派の中に、それを守らない者がいるからです。
もしモラルを守らざるを得ない状態ならば、つまり高リスクではなく100%見つかる状態であれば、カンニングは成立しない。
低リターンはルールを守らないことに対して守ることに意味があるから発生するのであり、そのためにはカンニング行為が可能でなくてはなりません。
カンニングが不可能であるならば、選択肢は一つしか無いからです。
「たとえ可能であったとしても、モラルに反する行為をすることはしてはいけない」というのもまた、モラルです。
そのモラルにのっとった行動をするという選択(=多数派として低リスク・低リターンを選ぶ)と、そのモラルが多数派であることを利用して逸脱した行為をすることを選択する(=高リスク・高リターン)。
あえて後者を選択している以上、モラル云々という説教にはあまり効果を感じません。
もちろんカンニングをするものが「良心」を持っていれば、反省するかもしれませんが、今後に類似するケースを抑えるのに「良心」に頼るのは多数派の傲慢に思えます。
「公共財」のような「モラル」に対するフリーライダーを規制したいのであれば、構造的にその発生を抑える仕組みを作る必要があるのではないかと思います。

↑月刊コロコロコミック派だった我が家で、たまーに母親が間違えて買ってきた別冊コロコロコミックに蓮蕾されていたマンガ。
結構面白かった記憶と、ヒロインがわりと可愛かった記憶があるけど、もう十年以上読んでないなぁ……。