花より団子よりまずは酒だろう、と雨の中

今日の東京は桜が満開の時期なみの暖かさである、と朝のニュースで言っていた。
札幌に住むようになってもうたぶん10年くらいになるけれど、花見に行った記憶がない。
名古屋や東京に住んでいた頃は、名城公園や上野公園に連れて行かれていたことを思い出す。
花見と言っても、木の下にシートを引いてお弁当を食べた記憶はなく、もっぱら人ごみの中を歩きまわっていただけだったと思う。
しかも父親が仕事で土日も忙しかったので、たぶん毎回夜だった。
小学生の頃からインドア派だった僕は、家族で外出するのが、しかも人ごみになんて嫌でたまらなかったけれど、夜の花見は結構好きだった。
夜の、明かりが灯って、人が沢山いて賑やかな公園は、普段の景色とは色もにおいも雰囲気も違って、どこか異界めいている。
しかも人ごみの中で、常に親を見失うかもしれないという焦りと、一方でそれはそれで面白いのではないかという気分が混じった、なんとも形容しがたい高揚感を感じられて楽しい。
なんとなくだけれど、お祭りの中に居ると、普段人ごみの中にいるのとは違って、自分以外がまとまりのある一つの集団に思えてきて、人が多いのになにかすごく孤独になったような気分になる。
それはたぶん楽しい雰囲気を共有している、ということと、にもかかわらず自分はそれがうまく共有出来ていないのではないかという思いからなのだろうけれど、人が多いのにそのなかで自分だけがポッカリと空白になっている浮遊感というか沈んでいる感じがいい。
今もたまに、夜に人が集まるお祭りのようなイベントがあると、一人でふらふらと行ってみたり、行ってみたいなと思うのだけれど、子供の頃と違うのは、あの迷子感とでもいうような感覚を味わうにはいろいろなモノ、携帯や現金、それから常識的な地理感覚なんかがありすぎて、楽しいことは楽しいのだけれど、あの子供の頃の不安と楽しさが綯い交ぜになった感じまでは味わえない。
もちろん思い出補正もあるのだろうけど。
今年の春は一人で花見にでも行くかな……。

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タイトルは、むかし友人と3人くらいで花見の計画をしたときの話。
雨が降ったので中止しようとしたのだけれど、買ってしまったお酒だけを屋根のあるところで淡々と飲むという、非常にすばらしい思い出。