書類の管理は大事、すごく大事。

たしか2月中旬頃に届く予定になっているはずの書類が来なくて焦っていた。4月以降の身の振り方が完全にこの書類にかかっているというのに、今日はもう20日である。昨日まではまだ中旬だと思っていたが、さすがに1年のうちでも一番短いこの2月の20日は中旬には含まれないだろう。
「頃」という字が、10日程度の期間の後ろに付いているという状態で考えられるのは、その10日の内のいずれかの日という意味と、せいぜいそのプラスマイナス2・3日という最大16日間の間の事だろうということはわかる。前者であることの方が経験上多い気がするが、後者であることも決して珍しくはない。しかし軽く人生がかかった書類が来ないという不安な状態では、後者の方であると思い悠然とその到着を待つことはなかなか難しい。特に私のような小心者からすると。
もしかすると何か勘違いしているのではないか、という不安は、すでに15日を過ぎた段階であった。出すべき書類を提出していないのではないか。そもそも書類が届くようなことは無いのではないか。手元にあるはずの、その書類が到着することを担保する別の書類を確認すれば済むのだけれど、万が一本当に勘違いしていたらと思うと怖くてそれができなかった。いや、それ以前にその書類が見つからないという、非常事態に直面した。
私はその非常事態に対しても、「いや、どこかにあるはずだが、今は忙しいからあとで探そう」と一週間ばかり放置していた。先日部屋の片付けをした際に、どこかにすっと入れて、そのことを忘れているだけだから、探せばあるのだと。問題の先送り。悪しきに日本社会の風習、いや、これは個人の性格の問題である。
思えば昔から(略
さすがに書類が届かないこと、見つからないことに怯えて、その「存在が無いということ」を確認しないことで「存在している」と思い込むのも限界だった。朝からとりあえず書類が到着することを担保する書類をさがすことにした。が、見つからない。
探すと言っても、そう広い部屋ではない。しかも棚と床の7割が本で埋まっている状態で、封筒にはいった書類がひそめる場所は少ないはずなのにもかかわらずだ。
もしかしてアレは思い込みだったのではないか。白昼夢だったのではないか。何かの手違いだったんだろうか。
延々と頭の中で井上陽水に歌いかけられながら、1時間の捜索の後、それは意外なところから発見された。
旅行用スーツケースの中。
盲点だった。ちょうど封筒が二枚並べて入れられるサイズなのをいいことに、過去にノートとして使っていたルーズリーフや新聞の切り抜きを封筒に入れて、それをほとんど使う当てのないスーツケースの中に入れておいたことをすっかり忘れていたのだ。しかしもう多分見ないものを入れていたはずの場所なのに、なぜ大切なものが?
そう思ってもう少し中を確かめると、先日から探していたウェブページを印刷したものや、読みたいのに見つからなかった文庫本数冊が出てきた。単純に片付けがずさんだっただけだった……。
しかしまあその反省はともかくとして書類が見つかったことを喜ぶべきである。勘違いじゃなかった、書類の存在自体は。