ネットにマナーは必要か……?メモ

黒マッチョニュース : 【ネット】「アベする」が流行語と言ったらブログ炎上…非難ではなく罵詈雑言…「ググって出てこないから流行語じゃない」など笑止千万 黒マッチョニュース : 【ネット】「アベする」が流行語と言ったらブログ炎上…非難ではなく罵詈雑言…「ググって出てこないから流行語じゃない」など笑止千万
個人的には、そもそもブログは炎上するものだし、どうでもいいようなことで悪意(と受け手側が受け取る感情)にさらされる可能性があるのがインターネットだ。
法律に違反しない限りにおいて自由であり、そこにこうあるべきだというルールや常識、持つべきマナーなんてものはない。
というか成立しにくい。
ある程度クローズな状態のコミュニティで、ルールを共有するということを確認してるのであればともかくとして、オープンな状態にしている以上、そこに法の介入以外のルールを持ち込み、なおかつそれを共有しようということは、最終的にはあまり意味が無いように思う。
そういう動き事態を否定するつもりはないし、ルールがあった方がやりやすいのだけれど、しかしルールがあることで自主的に規制されてしまうものがあるならば、そちらの保護も(たとえ常識に照らし合わせて不適切だとしても)かんがえたほうがいい。
アトムの世界とビットの世界は不可分ではあるけれど、直接的な人間関係とウェブを通した人間関係は違う。
匿名であるがゆえに起こる現象は、直接的な人間関係が支配する場では起こりにくい。
だからそれがネット特有のものであり、有害であるとするのはたやすいが、そもそも別の関係性で結びつかざるをえない空間に、もともと支配的であった常識などを持ち込むことの正義は誰が担保するのか。
規制したいのであれば、法律でするか、自分で不愉快なものが目につかないようなアーキテクチャをつくるなり利用するなりすればいい。
それが基本的にネットで取るべき(とった方がいい)姿勢であり、あえてオープンな場所で発言するということを選んだ以上、あるいはそれを見る以上、その無秩序にみえる場所に対してルールをという言説は「ダサイ」ように思える。
ご情報に基づく誹謗中傷にしても、それが過度に行けば具体的な制裁が発動するし、発動しない程度であればその程度ということではないか。
あるべき姿という幻想が共有されるという思い込みの気持ちの悪さは、炎上騒ぎに加担する人たちの自覚的な偽善と違いが無い。
というか相対化され、あくまでそういう主張なのね、というレベルに回収される。
妨害する自由も保障されているから結局イタチごっこ的な言い合いになるけど、なんで自由に任せようとはしないのか。
悪いところの否定より、いいところ伸ばすことであるていど「コントロール」できるとおもうんだけど。
もっとも、結局それで伸ばそうとする「いいところ」はそのコントロール側の主観的なものであって、その構造が見えているが故に反発を招いて全てが思惑どおりに行きもしない。
そうやってだらだらと形成される場に、もう少し期待してもいいような気がするんだけどな。