若者は選挙に行くべきなのか

【政治部デスクの斜め書き】ネット解禁でも「投票に行かない」という若者のつぶやき (1/3ページ) - MSN産経ニュース 【政治部デスクの斜め書き】ネット解禁でも「投票に行かない」という若者のつぶやき  (1/3ページ) - MSN産経ニュース
今年の夏は参院選がある。
去年誕生した民主党・鳩山政権の信が問われる選挙にたぶんなるだろう(あるいは別の総理候補が立っているかもしれないが)。
上に貼ってあるリンク先の三ページには、こんなネット専門家の発言が載っている。
「僕は選挙に行きませんなんて、マイクを持って大声でいうようなやつは、日本から出ていけ、と言いたい」
仮にブログで、いまここで「僕は選挙に行きません」と言ったら、やはりこの人に出て行けと言われるのだろうか。
それはいいとして、なぜ僕たちは選挙に行かなくてはいけないのか。
今、共通する価値観として、一番共有できるものはなんだろうか。
それは「効率」だと思う。
経済的な、あるいは作業の、もしくはなんでもいいけれど「効率」。
道徳や倫理ではなく、なぜ効率なのか。
おそらく「人を殺してはいけない」というかなり極端なこと対しては、それなりに共有されていると思う。
ただし、共有されていたとしても理由までは共有されていない。
これを「当たり前」とすることに対して、少なくとも何割かは理由を求めるはずだ。
あからさまに「なぜです?」ということは少なくても、「ひとまず」そうなっているから、あるいは「自分が突然殺されることのないよう相互に契約している」というような理由を引っ張り出してくるかもしれない。
しかし、僕たちは意識的に契約をしてない。
なぜ人を(ほとんどの人は)殺さないのか?
それは殺す理由がない、あるいは殺した時のデメリットが、メリットを超えているからではないか。
バレなければ殺すのか?ということを考えだすときりが無いけれど、そんなのそうなってみないとわからないでしょう。
個別具体的に判断されるものであって、「殺すわけない」と言い切れるのであれば、そもそも「なんで?」なんて疑問をもたないだろう。
効率は結局コストの問題だ。
「若者」とくくられる世代は、資本主義社会の中で、経済主体として成長してきた。
コミュニティの崩壊、個人化、経済神話とその崩壊、冷戦の崩壊による左右対立の崩壊(それ以前に、60年安保を経た日本に事実上の左右対立はなかったし、赤軍の醜悪は完全にそれに止めをさした)
共有される価値観は、善悪ではなく貨幣・資本主義経済くらいしかないような気がする。
90年代以降のあらゆるコミュニティの島宇宙化で、ほんとうにそれくらいしか共通するものがない。
コストの問題を考えたとき、僕は選挙に行く意味を見いだせない。
選挙に行き、一票を投じるということは、それなりに各党の、そして各候補の主張を吟味し、託す必要がある。
しかし仮に多大なコストをかけて考えぬいた末に一票を投じたとして、なにも考えずに投票された=ほぼノーコストの一票とその価値に違いはない。
僕は何も考えずに投票をすることを非難したいのではない。
そもそも投票は権利だ。
条件をみたせば行使することができる権利であり、国の制度の枠組み内で行使される限りそれを非難することはできない。
しかし、非難することができるかと、したいかとは別問題であり、あるいは非難しないにしろ、それがだれかの権利行使への意欲を失わせるかどうかもまた別問題なのだ。
鳩山政権発足後、首相や幹事長の金銭をめぐる問題、あるいは普天間基地をめぐる迷走、口蹄疫対策の不備など、支持率がさがる要因は多く、上がる要因はほとんど思い当たらない。
しかし支持率が急落しすぎてはいないだろうか。
今の支持率が妥当かどうか、ということは置いておくとして、いったい去年民主党に投票した人は、どうしてこんなにもすぐに支持をしないということを選択出来るのか。
もう一度書くけど、内閣に問題が無いなんて言わないし、支持率が高いのか低いのかはわからない。
しかしあまりにもお粗末ではないかと思う。
初めて政権与党になる民主党が、その内閣が、半年の間にどれだけのことができると期待していたのか?
たしかに、選挙運動を見ていると、民主党が政権をとれば、すぐになんでもうまく行くかのように語られていた印象はあるが、それを真に受けたとしたなら、いままで何回選挙を経験してきたのか。
自民にお灸を据える、というような事を言っている人も多かったようだけれど、じゃあもうそれはすんだから、また自民に戻すということなのか。
少なくとも僕には、気分や報道にのせられて(自民党が良かったのか、というのはまた別問題だけれど)民主党に投票した人が多かったようにしか思えない。
何人がマニュフェストを読んで、どのように分析したのか。
財源がわからない、ということをひたすら聞いたけれど、細かい説明をされて理解したところで、それをきちんと検証する気はあったのか?
そもそもマニュフェスト選挙自体に、僕はあまり賛成ができないのだけれど、マニュフェストに書かれている政策の表側だけを見て投票しておいて、それが達成されないようだからと不支持にまわったわけではよもやないだろう。
この短期間に上げて下げるような世論(そしてそんな世論が内閣の政策をいちいち左右するような状態)なら、最初から低空飛行だったネットの一部での支持率調査のほうがまだましだとすら言いたくなる。
そもそもマニュフェスを守らなかったとしても、それは罰則があるわけでもなく、最終的に審判をくだされる「可能性がある」ということに過ぎず、精査することもバカバカしいのは、達成されていない状態を見れば明らかだ。
かといって、党としての統一的な方針も、短期で見ればあったとして、長期で見たらぶれている。
今回、社民党が意地を通したけど、もともと自社連立が今の社民の惨状の原因だ。
これでも投票に行けと言われるのだろうか。
また、白票を投じればいいという意見があるけれど、それにしても白票を投じるにはやはりコストをかけて、白票を投じるか、あるいは既存の政党・候補に投票するかを考えなくてはいけない。
そもそも何を望んで投票するの?
投票率の高い高齢者向けの政策から、若者に目を向けてもらうために(コストをかけるかどうかは別。数の圧力としてだけでも)投票に行くとして、そこには二つの問題がある。
ひとつは、「若者」がどの程度行くのかわからない。
そして、そもそも若者向け政策って何?
つまり自分が行ったとして、他に行くひとが少なければ意味がない。
そして、「若者」が求めている政策は共有されていない。
仮に今の状況への意義、つまりもっと若い世代に目を向けた政策をという意味で白票を投じたとして、じゃあ目がこちらに向いたときに僕たちはなにを求めているのか。
それは立場や状況によって大きく異なるし、自分たちが立つわけではなく既存の政党へのアピールとしてなされれば、彼らからのアプローチに対する反応として対応していかざるをえないし、それはたぶん共有出来るたぐいのものにならないだろう。
ここまで考えた上で、それでも僕たちは投票に行けと言われ、行かないと言ったら「じゃあ出てけ」と言われるのか。

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端的に言って、インターネット選挙を全面的に解禁して欲しい。
とくにツイッター的なものは、たぶんかなり若者の政治参加に有用なはずだ。
ひとつは、仲間同士で繋がりがちでも、それぞれ非対称なTLを見ていて、そこになにか興味をひくような話題がでたときに、それを即座に仲間同士で共有できるということがある。
ツイッターで政治の議論がしやすいということは前から言われているが、コミュニケーションのためにコミュニケーションする世代にネタとしてライトな政治の話題はそれなりに使われる可能性はあるのではないか。
そこは広める側にもテクニックが当然要るだろうけれど。
それに、参加意識をいかに高めるかは、興味関心を引くことからスタートしなくてはいけないだろう。
僕たちは血や汗を流して参政権を手に入れた記憶もなく、また、そんな歴史を年長者から聞くことも無い。
なぜならそんな歴史はないからだ。
当たり前にある権利を、しかも行使する権利を、コストをかけてわざわざ行使するにはそれなりの動機づけが必要になる。
ネタとして共有された話題としての政治への参加、というネタの消費という形をつくれれば、それから派生するなにかがあるかもしれない。
もちろん、ツイッターである必要はない。
(偽物問題に関しては、ジャーナリストの津田大介氏のウェブの現代ビジネス『「オープンな世界」と「日本的根回し」をつなぐTwitter メディアジャーナリスト津田大介インタビュー 最終回』での「そんなことが重要であれば、日本の代理店のデジタルガレージがありますから、そういうところが選挙前に予算をかけて全部確認をすればいいだけの話です。」というでほぼ決着が付いてると思うが…)
何かしらそれに変わる、あるいは公のシステムを作ってもいいかもしれない。
「政治」というネタの優れているところは、ほとんどのことがタコツボ化しても、日本あるいは世界という大きなククリで話をできる、自分たちに直結するところにあるとおもう。
それがネタとして消費されやすい環境をつくることが、投票に行かせる動機づけになるのではないか。