物語とキャラクターの関係

作品内における小さな物語(エピソード)は、作品としての物語(ストーリー)に対して必然性があるか、あるいはキャラクターを組み立てる上で必要があるのかによって違う。
前者は作品としての物語が有利な作品で、後者はキャラクターの肉付け。
例えば「幼い頃に虐待されていた」というエピソードが有ったとして、ストーリー上そのエピソードが必要なのか否かと、キャラクターの肉付けのためなのかというのは分離出来るのか。
つまりキャラクターへとなされた肉付けが、結果としてストーリー上の必然性を帯びているのであれば、それはどちらに属するのか。
キャラクターを動かす/動くことを主に組み立てられる作品であれば、そもそもストーリー自体の意味が、ストーリー(テーマ)を元にキャラクターを配置するような作りの作品とことなるの。
そもそも必然性とはなにか。
仮に作者から明確にテーマを提示されたとして、そのテーマに則ったエピソードが必然であるかどうか、あるいはそのテーマに対してストーリーが則しているのか、テーマが描かれているのかどうかを判断するのは受けてだ。
必然性は理由の説明であり、テーマとは直接接続されないのではないか。
テーマを表現するためのストーリーの必然性がテーマとは直接接続されないのは道理であり、とくに問題はない。
必然性が結びつくのはストーリーだ。
ストーリー的に必然性の無いエピソードはキャラクターの肉付けとして回収される。
もしくは回収されないことによって意味を持つことで、ストーリー的必然として回収されるという必然性を帯びる。
さて、ストロベリー・パニックの小説版で、メルヘン世界の中で花織が「死んだ」という唯一のリアリティの必然性は何か。
これは明日。