ストロベリー・パニック(電撃文庫)―ネタバレ

ツイッターに投稿した感想のメモです。
後日編集してまとめます。
昨日の記事「物語とキャラクターの関係」も。

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真箏と姉の関係性で、愛しいものとの別れを(生き死にの差こそあれ)再度描いたために、静馬・花織の関係性の「死」をはさみながらも妙に実感のない関係の終了をより薄くし、故に静馬と渚砂の関係のギクシャクの不自然さを浮き彫りにしているように思えてならない。
posted at 22:44:18
そもそも舞台といい思想といい、時折外部性を見せながらも、それがかえってメルヘンさ・非現実さを補強するように機能しているのに、死を書いたのはなぜか。キャラクターあるいはキャラクター同士の関係への肉付けにしては、その作品雰囲気と「死」というもののバランスが悪いように思う。
posted at 22:46:03
しかもあまりにも「死」に実態がない。しかしそれでも事実として書かれる以上、明らかな存在感を有している。キャラクターのみには回収できない程度には重い。にもかかわらず、そのテーマを抱えた二人から重点をシフトしてしまったことで、ストーリー的な必然性からも「死」が見放されている。
posted at 22:47:50
純粋なキャラ萌え、キャラ関係性萌えに落とすか、あるいはテーマとしてきちんと処理するべきだ。真箏の登場以降の主役は天音であり光莉である。彼女たちはストーリー的なものよりもキャラクター的なものに比重が置かれているように思える。
posted at 22:50:14
エピソード単位で言えば、二巻以降は文体も含めて面白かった。とくに夜々と光莉あるいは玉青と渚砂の関係性。
posted at 22:58:14
コンテクストがいまいち把握できていないので、はっきりとはわからないけど、ストーリー的にあまり重要と思えないようなル・リムのエピソードがその割に多いのは、たぶん参加型企画ゆえだろう。だとするとその制約の中で、バランスが不自然なのはうなずける。
posted at 23:00:04
それを許容した上で、個々の関係性のリアルさはともかくとした動きはツボを抑えていると思う。基本的に作品外でリゾーム型の発展をするということが前提に成っているだろうことは明らかだし、その構造はきちんとしてる。
posted at 23:02:52
だからこそやはり「死」別という無駄なストーリー性が惜しい。これだけはどうしてもストーリー的にもキャラクター的にも、(あるいは大人の事情的に回収されるか…?)必然に回収されない。
posted at 23:05:14
しかも静馬・花織の関係性は物語内レベルでアンバランスなものだったとされてしまう。そんなのありかよ……
posted at 23:07:30
非現実・メルヘン的世界(垣間見える外部性すらもその世界観を強化する)で「死」という絶対的リアルな記号を相対化した(=メルヘン化した)ということはじつはわざとなのだろうか?だとするとすごいけど、しかし意味はわからない。
posted at 23:14:47
唯一のストーリー性としての「死」を放置してキャラクター・エピソードの集合としてのエピソードのみにするのなら、もう少し別の方法があったんじゃないだろうか。主役カップルの交代が必然ならば、その前の解決と全面対決を。交代しないならばストーリーとしてきちんと解決しなくては
posted at 23:16:55
別に文学的ただしさを求めたいわけではないけれど、それにしても「ストーリー」と「キャラクター」のバランスが惜しい。
posted at 23:19:49

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