メロンパン

先日、食おうとしていたメロンパンを弟に食べられるという悲劇が起こった。
たかがメロンパンと言うかもしれない。
しかし考えてももらいたい。
食べようと思っていたメロンパンと、代わりに買ってきたメロンパンは違う。
メーカーがとか、カタチがとかではない。
僕が食べようと思って楽しみを一心に照射していたのは、メロンパンAであって、メロンパンBでは断じてないのだ!
例えばRPGをしていたとして、一回目のプレイと、二回目の全く新しく始めたプレイ。
全く同じパーティを組んだとして、その君の仲間の魔法使いは、一回目と同じか?
違う。
僕といっしょに一回目の冒険をした魔法使いと、二回目で仲間になった魔法使いは、たとえ二回目が一回目と全く同じ終わり方をしようと違う魔法使いだ。
なぜか。
それはぷれーやーである僕自身が、一回目と二回目では違うからだ。
他者とは自分との関係性だ。
その関係性が決定的に違うとき、仮に正確や見てくれが一緒だったとして、それを同一といえるだろうか。
そう言い切ってしまったとき、切り捨てられる一回目の魔法使いを、その一緒に過ごした思い出を、いとおしくは思わないのか?
簡単に記憶を上書きして、それは実は淡々と過ごさなければいけない僕たちの日常のほとんどを否定してるんじゃないのか?
一回一回行われるルーティンワークにすら意味を見出していくことこそを、それを単純に意味付けせずに肯定していくことの居心地の良さが空気系のブームだったんじゃないのか?
だからひとのメロンパンを勝手に食うな!