幼児期の個人教育

男児教育 性差より個性を 福岡市の市民グループ 園など調査し提言 / 西日本新聞 男児教育 性差より個性を 福岡市の市民グループ 園など調査し提言 / 西日本新聞
上の記事はまあ大したことない記事なんですが、というかタイトルからして「性差」ではなく「ジェンダー」だと思うんだけど。
男の子を育てるのが難しくて、その理由は男の子として育てないとイケナイという思いが大人にあるからじゃないかということらしい。
だから個性を大切にしよう、と。
個人的に、ジェンダーの差別はなくして、セックスによる区別による個人主義(+再配分の充実による経済的自立)という平等がいいのではないかと思っているので、幼児期からジェンダーと関係なく個人として教育するというのには賛成だ。
ただ、個性ってことばは曖昧でうさんくさい。
それに、ジェンダーによる区別をしないという意識の中で生まれるノンジェンダーな個人というモノは果たしてだれがどう設定するのだろうか。
それを間違えると、ジェンダーではない別の社会的な区別/差別対象が生まれて、それはそれで問題になる気がする。
男の子が「男らしくしたい」と言ったときに、それを肯定するのか否定するのか。
肯定するとしたらそれはジェンダーの肯定になってしまうのか。
否定するということは個性の否定になってしまうのではないか。
まあ、上の記事の問題は、ジェンダー教育の問題よりも『跡取り意識のある祖父母からの圧力や、子育てでの孤立化が背景にあるとみられる。』という部分が一番重要な気がするが。