最少殺人事件数と希薄な人間関係
asahi.com(朝日新聞社):天声人語 2010年1月29日(金)
NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋−(1/29)
朝日新聞の天声人語と、日経新聞の社説によると、昨年の殺人事件数は戦後最少だったらしい。
ただ、その理由はネット社会で人間関係が希薄になったからで、それがときに暴発して、不条理な事件を起こすと。
まあ言いたいことはわかるけれど、なんでもネットのせいにするのはどうなんだろう?
あえて嫌味な読み方をすれば、濃い人間関係のもとで理由がわかる殺人事件が起こっていた時代は因果関係がはっきりしていた、ってことでしょ。
そしてわかりやすくてよかった、と。
現代の事件の動機がわかりにくいのは、共通する物語が衰退したからだし、それによって理解する余裕がないからだと思う。
あるいは理解しようという迫力がない。
多様な価値観が氾濫している以上、社会全体で納得ができる物語が成立しないのは当然だし、統一する必要もない。
今更、濃い人間関係を復興するのは無理がある以上、希薄な人間関係は現在ではスタンダードだと考えるべきじゃないか。
そもそも、大概の殺人事件の動機なんて、納得も肯定もできない。
その状況で殺人を犯すことを選択した人の後ろに、同じような状況でそれを回避している人の情報があっという間に手に入るからだ。
『わかりやすい理由』の殺人事件がたくさん起こるより、『よくわからない理由』の殺人事件が少ない方がいいし、結局どちらの理由も当価値。
ネット社会以前に、失われた十年や、もっとその前の情報化社会化で、すでに人間関係なんて希薄になっていたような気がする。
戦後さんざん強化されてきた消極的自由に対して、内面にまで介入するような人間関係は受け入れられにくい。
ネット社会による人間関係の希薄化なのか、人間関係の希薄化による現在のネット社会の利用のされ方が在るのかという問題もある。
なんていうか、あんまりネットのせいにすると、特に若い層が反発するんだから、慎重に対応した方がいいと思うんだけど。
特に既存のメディアはネットを敵視しているって見られがちだから。