善意って難しい

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純粋な善意なんてものは無いと思っている。

だから、「私って素敵」系の押付善意も、無償の愛的なものも、裏があります的なものも、最終的にはその対象がどう考えるかということが重要だ。

で、これはあまりにもな話なので、ちょっと笑った。

こういうのを「素敵やん」って言うのが大人なのか?

なんていうか気持ちが悪い。

2ちゃんねる的な言説の、偽善バッシングは、その偽善を善として受け入れる社会という幻想に対する反発なんじゃないかと思う。

ストレートな物言いができる状況で、実際の社会の「空気を読め」的な雰囲気は不自由に感じられる。

その不自由さと、それを容認する社会(という幻想)という幻想に対するいらだちが、結果としてこういう偽善的イヴェントや、市民運動的なものに対して攻撃的になる原因じゃないか。

べつに個人的にアホくさい以上の感想は無いんだけれど、反応があんの上だったので。