振り返り①

今年とか来年とかいう区切りが、実はあまり実感できない。

というよりも、時間の概念がひどく曖昧だ。

僕の置かれている現状のためでもあるし、相対化の結果の絶対的時間感覚の喪失のような気もする。

とはいえ何となく振り返った方が整理がつくので振り返り。

僕自身については振り返ると精神的に死ぬので振り替えれないけれど。

ていうかあ必要がない。

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政権交代の妥当性というか、意味についてはまだ結論を下すにははやい。

ただ、僕はもう麻生政権に移行するくらいには政治に期待することを本格的にあきらめていた。

これは自民党が云々という問題ではなく、いわゆるセカイ系的世界観のせいだ。

経済的な問題は政治で解決できても、生きづらさの問題は個人の問題に帰結する。

解決するべきは政治家ではなく、社会の問題だ。

しかし地域共同体を例に挙げる社会、もっと小さなコミュニティとしての社会は、答えを用意できるのか?

たぶん無理だ。

社会が用意できるのは、つながりという回答であり、どのようなつながりであれそれは消去法的に選択されるよりほかない。

近年選択されがちな緩いつながりは、積極的にはコミットしたくないけど、かといって無視も出来ないという生き方のために仕方なく利用されている。

社会とは、その関係性の場であり、またそこに意味づけを試みる場であるが、消去法的に選択されたそのような関係に積極的な意味は存在する余地は少ない。

最初から気づかないか、気づいてだましだまし過ごしていくか、そこから離脱するかの三択を迫られる。

社会に解決できる、準備できる問題は前二者であり、深刻な社会問題として解決しなければならないとされる離脱者は、解決の方策を用意し得ない。

経済的な問題としての生きづらさの解決と、心理的な生きづらさの解決は別問題である。

もちろん、経済的な問題からの心理的な問題という流れは当然にあるが、最初から一緒に考えることは出来ない。

経済問題はある程度国家レベルの政治で解決することが出来たとして、心理的な問題はどう解決していくのか?

有効な回答は出ていないように思えるし、そもそもそんな方法はないのではないかと思う。

僕が興味があるのは、あくまで心理的な問題なので、その解決という意味では、最初に書いたように政治的な期待はない。

経済的な問題に関しては、興味がないし、どうでもいい。

今の不透明な状態から、なるべく欠落を増やさないために、現状維持的な立場から、親米的な外交立場を支持する程度の気持ちはあるけど。