[映]アムリタ

野粼まどの『[映]アムリタ』を読んだ。

予想していたよりもだいぶおもしろかったけど……。


以下ネタバレ注意。


ストーリーは少し長いけど本の裏から引用する。

『自主制作映画に参加することになった芸大生の二見遭一。その映画は天才と噂されるつかみどころのない性格の女性、最原最早の監督作品だった。

 最初はその天才という呼び名に半信半疑だったものの、二見は彼女のコンテを読み始めた直後にその魅力にとりつかれ、なんと二日以上もの間読み続けてしまう。彼女が撮る映画、そして彼女自身への興味が二見を撮影へとのめりこませていく。そしてついに映画は完成するのだが―。』

登場人物は四人+一人。

二人は上に出てくる二見遭一と最原最早。

あとの二人は画素はこびと兼森。

定本由来という最原最早の元恋人で、二見が映画に参加することになったときにはすでに事故で死んでいる。

いくつか引っかかった点を上げていく。

まず名前。

二見遭一と、定本由来はいいとして、最原最早とか画素はこびはちょっと……。

とくに、画素はこびは一ページ目に登場するんだけど、「画素はこび」という仕事があるのかと思ってしまった。

それは文章の兼ね合いとかもあるんだけど、ちょっと不自然すぎる気がする。

でもまあ、それはたいした問題じゃないし、自然な名前をいえって言われてもこまるからまあいいや。

で、次が登場人物の扱い。

最初二見は画素の方に気があるんだけど、徐々に関心が最原に移る感じがする。

というか移ってるんだけど、最後の方に全く画素と兼森が絡んでこない。

この作品中に映画は撮って終わりじゃなくてそれから編集があるんだっていう下りがあるんだけど、それに例えると画素と兼森は撮影にしかタッチしていないような感じ。

もう少し終盤絡んで欲しかった。

これではあまりにもストーリーを進める材料以上の魅力がないので、ちょっと記号的すぎて異物感がある。

最後まで読むと、これはわざとなのか? とも思うけど、実際どうなんだろう。

それから、最原の作品やコンテがとにかくもの凄いという扱いを受けるんだけど、それに説得力がない。

天才という設定以上の説明もあるのだけれど、実効性に現実感がいまいち感じられない。

もっとも、この点は物語なんだからあまり気にしなくていいと思うし、実際大して気にはならなかったんだけど、持ち上げ方が半端ないので、なにか嘘くさい。

映像による感情のコントロールや人格の剥奪と付与というのはおもしろいと思うんだけど。

で、一番引っかかったのが、主人公のぶれ。

この話は主人公の目線、つまり二見の目線で語られるんだけど、途中まで二見は登場人物の中で一番まともに見える。

が、ある部分でおそらく多くの読者と主人公の間に線が引かれてしまう。

二見は、心理的な影響を与える映像を使って無理矢理人を感動させられる映画を否定しない。

それはサブリミナルの肯定のようにも思えるし、そもそも演技をするものとしてそれはしてはいけないことでは?

この後のどんでん返しよりも衝撃的だった。

それが許されるなら映画である必要はないだろう。

この時点で(と言ってももう最後の方だけど)、主人公への感情移入は完全にシャットダウンされた。

主人公に裏切られたという点では、そうとうびっくりした。

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おもしろかったところ。

理由はわからないけど、なにか引き込まれるものがあった。

本の厚さの割に、いつもよりも読むのに時間がかかった。

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