久しぶりに更新

久しぶりの更新である。
今月に入ってからブログを更新しなかったのには深いわけがある。
実は今月の初めより、遠方の高山の中腹にある寺院に二週間の日程で山篭りの修行に行っていた。
これまでの人生の汚れと、雑念を振り払うためである。
そこで行った修行とは、主に掃除と食事の支度、そして坐禅であった。
朝は日の出と共に起床し、雑巾を用いて床という床を磨く。
その後に朝食の準備をし、食事を終えた後には外の掃き掃除。
山に入って薪拾いもする。
昼食後、本堂にて坐禅を三時間。
ひたすらに自己を空にして雑念を振り払うことに専念をした。
不思議なもので、最初の数日は色々と余計なことを考えてしまうことがやめられなかったが、一週間もすると、三時間程度なら何も考えずにいられるようになる。
眠っているわけではない。
周りの出来事は全て手に取るように感じられる。
寺で飼っている自由な猫たちが前や後ろを通る様子、風の音や、山の木々のざわめきが、ただ空になった私の中に響いているだけなのだ。
この季節、山中は非常に寒く、つねに裸足あるいは裸足に草履か下駄での修行はかなり厳しいものであったが、精神的に成長できたと思う。
ちなみにこの二週間、ツイッター読書メーターmixiがちょくちょく更新されていたのも、修行の賜である。
もちろん山中にはインターネットの回線も通っていなければ、携帯電話も通じない。
残された方法といえば念力だろう。
ちなみに読書は千里眼を取得して行った。
最初の三日は住職の力を借りたものの、残りの十日間は自力である。
念力で自室のPCの電源を入れたり、本のページをめくっていた。
もちろん、坐禅の間は無の境地であるから、そんなことはしていない。
主に開いた時間である。
修行中の身でありながら、ツイッターで「おっぱい」とつぶやいてみたり、煩悩にまみれたようなコミックを読んでいたじゃないかと思われるかもしれない。
しかしそれは属人の浅はかさである。
私はなんの煩悩も雑念もなく「おっぱい」とつぶやいていたのであり、煩悩まみれのコミックを無心で読んでいたのだ。
すなわち、コンテクストと切り離した単なる単語として、そして絵と文字の集合として、それらを俯瞰しただけである。
修行は終わった。
しかし人生は修行である。
今後もこのことを忘れずに、煩悩も雑念もなく世の中を生きていきたいと思うのであった。
ちなみにここまで全部嘘である。