むむむ

「素敵日記」を書いてみようと思った結果、ひどいことになった(前の記事参照)。
慣れないことはするものではないということだろう。
なにせ日頃から自分のことは棚にあげて、すきあらば世間様に悪態をついているのに、今更季節のお便り的なことを書こうとしたところで、長年染み込んだ嫌味な根性がそうそう好きにはさせてくれない。
モンブランもかぼちゃの煮たやつも好きだけど、秋と言えばトンボの死体だ。
出かけるたびにあちこちに落ちている。
死んでいるのに風で動いているのか、それともまだかすかに生きているのかが分かりにくい。
どちらにしろよけて通るけど、またぐか避けるかを迷う。
死んでいないならまたぐのはなんとなく失礼な気がするのだけれど、しかしどうしてそんなふうに思うのかはよくわからない。
むかしから母親に「食べ物と人はまたぐな」と言われてきた。
食べ物は口に入るものだし、そもそも粗末にしてはいけない。
人はまたがれると出世しない、という言い伝えがあるらしい。
食べ物のほうはともかく、またぐまたがないはどうでもいいと思っているけれど、小さい時に言われたことは信じていなくても余程の理由がない限りはなんとなく守ってしまう。
トンボは食べ物でも無ければ、おそらくもう出世もしないだろうに、結局いきものだからあまりまたぎたくないのかもしれない。
あるいは後日蟻の食べ物になるからだろうか。
だとすると相当な数の物をまたいで通れなくなってしまうわけだが。
ところで、昔よりも格段に虫が苦手になっている僕にも未だに触れる数少ない昆虫の一つであるトンボなのだけれど、実は結構な数のトラウマがある。
捕まえようとして羽や足が取れてしまったり、うっかり踏んでしまったり、昆虫籠に大量にいれすぎて大変なことになったり。
昆虫籠に関しては、セミでも同じことをやった記憶がある。
いまなら絶対にやらないし、そもそもあとで逃がすなら最初から籠に入れない。
もうそろそろトンボも終わりの季節
あの大量のトンボの死体は、一体どこに行くんだろう……。