差別意識と「正しい」考え方

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↑のカフェをテレビのニュースで紹介しているのを見ていた弟が「行きたくねぇ」と言っていた。
中学生といえばそういうことをことさら言いたがるお年頃ではある(と自分の経験からは思っている)し、「差別主義者だな」と言うだけにとどめておいた。
兄としては注意するべきだったのかも知れないが、僕は弟の発言のどこが注意されるべきかという事についてあまり正確な理由を知らない。
僕は行きたいとも行きたくないとも思わなかったし(タイミングの問題で、例えば市役所近くで休憩所を探していれば行くだろうし、かと言って遠くからわざわざ行くことはしないだろう)、障害のある無いにかかわらず、いろいろな取組がなされて、それによっていろいろな人が利益を得るならそれはいいことだと思う。
差別もなるべくやめるべきだ。
けどそれを弟に押し付ける気はないし、注意するとすれば、差別的なことを発言するにはリスクがあるということくらいだろうか。
考え方を「矯正する」というような偉いことはできないし、建前さえ維持されるのならば腹の中で何を思っていようが自由だ。
建前の維持が必要なのは「これが正しい」という感覚が共有されている、ということになっている「社会」に僕たちが生きているからで、そしてその「社会」では、ヘマをしなければ思っていることがそのまま人に伝わることはない。
当然のことだけど。
もし僕が弟の発言と考え方を正そうとするならば、なぜ差別をしてはいけないのかを説明する必要がある。
なにかを強制するにはそれなりに筋の通った理屈をコネなくてはいけない。
もし極力権力を行使したくないならば。
例えば自分が障害者になった場合や自分の家族がなった場合に差別されないようにとか、障害は個性であるとか、たぶんいろいろな考え方があるのだろうけど、それらを僕はそれほど説得力のある理屈で弟に納得させられる自信はない。
先入観や気持ちはなかなか変わらないものだし、そもそも倫理や道徳や、あるいは損得や予防の考え方自身にたいして僕自身も必ずしも納得できていない。
だから「差別主義者だな」と冗談ぽく言うことで、微妙な調整をしてみたつもりではあったけど、果たして効果はあったんだろうか。
本当はなにも言わないつもりだったのだけれど、昨日か一昨日も性的マイノリティの人たちのイベントのニュースに対してぼそっと差別的なことを言っていたので、さすがに何か言わざるを得なかったが、たぶんあまり意味はないだろうな。
それにしても聞いていたのが僕だけでよかった。
母が聞いていたらまた親子喧嘩になっていただろうと思うと頭がいたくなる……。