愚痴愚痴

つい先日、君は話が回りくどいと言われた。
まあ自覚はあったのだけれど、しかし回りくどいのはそれなりに理由がある。
そもそも、僕もその人も日本語を話して入るのだけれど、使う単語のコンテクストが大きく異なっているということが、最初の数回のやりとりで分かっていた。
単純な話、アメリカが好きか嫌いかによって、「君はアメリカ的だ」と言う言葉は褒め言葉にもなるし皮肉にもなるし、攻撃にもなる。
だから「僕はアメリカという国を基本的に好きだ。しかしそれは現実のアメリカというよりも、『自由の国』というイメージによって構成されるイメージの方だ。そして君はそんなアメリカ的な寛容さを持っている」と言う方が誤解が少ない。
もっとも、だったら別にアメリカを例えに使う必要はないわけだけれど。
誤解のないコミュニケーションなんておよそ不可能なのは分かっているけれど、最低限言葉のレベルではできるだけ定義を正確に同定しておきたいのは、なにかつまらない揚げ足を取られるのが面白く無いからで、別に他人に強制するつもりはないし、やはり自分で話していても面倒くさい。
でも、簡単に言った言葉でふてくされるのも非常に面倒くさい。
どうせ誤解するなら、いい方にしろよ!と思うのだけれど、僕自身常に悪い方にとるので、なんとも言えなかったりすると、結局話しが長くなるけど回りくどく説明せざるを得ないということになる。
いや、この文章も少し回りくどいかもしれない。
だいぶ削ったんだけど。
前提が必ずしも共有されていないというのは、狭いコミュニティのなかで、あるいはある程度仲がいい人同士ならばなんとでもなるのだけれど、やはり初対面ならば相手の属性がわからないからなんともいえない。
しかし話が長いやつと思われるのも、必要だと思っているからやっているとはいえ、なかなかそんな気がするし、いずれにしてもコミュニケーションてめんどうだな、と思ったり。
ちょっと話が大きくなるけど、分かりやすさってそんなに必要なのだろうかと、とくに政治の議論なんかを見てて思う。
誰だったか、問題の本質がよくわかっている人は誰にでも分かりやすくその問題について説明することができる、と言っていたけど、それは一般的な事柄についてだけだろうし、相手に期待し過ぎなのだと思う。
政治なんて複雑に利害が絡んだものを、単純化するということ自体、かなりの情報の切り捨てを必要とするし、何を必要とするかということを決める段階でかなりの恣意性が入ってくるなんてことは当然なわけだ。
とすると、単純な情報、分かりやすい情報ほど、実は受け手が様々考えなくてはいけないはずなのだけれど、聞いただけでわかった気になりやすいのではないか。
もちろん、文章で分かりにくいものを図にしたりグラフにしたりとかそういうレベルではなくて。
だいたい、国民にわかりやすい議論の国民て誰よ、と思うわけです。
政令指定都市の市長が「ラーメン屋のオヤジ」みたいな人が市を運営していったほうがいいとか言っていたけど、ラーメン屋のオヤジは政治できるのだろうか?
政治が高等なものと言いたいわけではなくて、単純に今あるしがらみをどうするのかとか、そういうのが安易なスローガンや分かりやすい言葉で見えなくなっている気がする。
利権云々を擁護するわけではないし、なくなるにこしたことはないし、なくすべきだし、はやくなくなれと思うけれど、そういうものが在るという現実からスタートしなくてはいけないし、それが全く無くなるほど人間て機械的じゃないんじゃないのかと。
結局人が集まればなにか好き嫌いや感情的なものやしがらみが起こって、それを必要「悪」として容認するようなことになるんじゃないの?
そもそも「国民の代表を選ぶ」建前の国政選挙で「地域のために」とか言っているひとを平気で選んでるけどどうなの?
それがいいとか悪いとかではなくて、それが前提としてあってしまうのだとしたら、それを簡単にどうこうできるわけじゃないでしょう。
別に選挙民が「バカ」だから政治家が「バカ」とかそういう問題じゃなくて、単純に制度をかなり変える必要があるんじゃないかと思うんだけど。
どうせ二大政党制なんか無理っぽいことは見えてきたわけだし、投票権格差是正のために完全な比例代表制とか、専門分野ごとに専門家を議員にして議員数を大幅に増やしつつ兼業認めて給料を下げるとかさ。
外野からだからなんとでも言えるんだけど、もうちょっと楽しく政治できる制度ってあってもいいんじゃないかと思うんだけど。