若者

日本と外国の若者の差がどんどん開く | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 日本と外国の若者の差がどんどん開く | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
↑の記事中の石原慎太郎氏のコラムの引用を読んで、「また若者叩きか」と思って原文を読んでみたら、だいぶ印象がかわった。
【日本よ】石原慎太郎 「当節、若者気質」 - MSN産経ニュース 【日本よ】石原慎太郎 「当節、若者気質」 - MSN産経ニュース
ひ弱な若者はダメだ論ではなくてそもそも親に責任がある、という論点だった。
僕は今の若者がひ弱だとは思ってい無し、悪いとも思っていない。
強い若者が、結局誰かが求めるそれでしかないことを考えると、むしろ多様性がある現在の方がいい。
「活字離れ」をどうするか、東京都が考える | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉 「活字離れ」をどうするか、東京都が考える | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
「好き嫌い」の理由の説明は、できるできないの問題以前に、したくないというのが実際のところじゃないか。
感覚的なモノに対して重きを置く、置かざるを得ない若い世代が、言葉にすることによってその考えていることと言っていることの違いに違和感を覚えるのはある種とても自然な事のように思える。
別に絵を見て、好きか嫌いかだけでいいじゃない。
議論せざるを得ないならするし、わざわざお互いに衝突する必要もない。
ディベートの問題は、人格と論じる内容の分離ということを教育課程でやる必要があると思うけど。
あと、TVで流れる政治家同士やタレントとのレヴェルの低い言い争いみたいな討論もどきを子どもに見せないという必要もあるかもしれない。
大学の時のゼミの討論にしても、どうしてもその後のことを考えると、突っ込んだ反対意見を言いにくかったりした。
お互いに、少なくとも僕は、自分の意見の否定=自分の否定だとは思っていなかったし、たぶん相手も思ってはいなかっただろうけど、その保証がない状態で否定的な意見は言いにくかった。
意見が相手にとってなにものであるのか、自分にとってなにものであるのかという問題に対して、それぞれがどうとらえているのかがわからないと、不用意な発言が相手を傷つけることをよくわかっているとやりづらいわけで、もう少しきちんと討論のしかたなり考え方なりをどこかで教育されるか勉強しないとイケナイと思う。
が、それと好き嫌いの問題は必ずしも同一ではない。