偶然
東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』を読んだ。
その中に、村上春樹の短編小説の話があって、それはまだ僕が読んだことの無いものだった。
どうにかその話を読んでみたいとおもったのだけれど、ひとまずクォンタムと一緒に買った『回転木馬のデッド・ヒート』を読んだ。
するとそこに『プールサイド』という短編が収録されていて、それがまさかにクォンタムで言及されていた作品だった。
三十五歳になった男が、理由もわからず涙を流す話だ。
彼は人生を七十年だと決め、三十五になったときに、その半分が終わったのだとおもった。
クォンタムの中で、この作品に言及した登場人物は、三十五という年齢が、それまでに蓄積された現実しなかった可能性と、これから現実する可能性の量が逆転する年齢だとしていた。
たぶんこの前提がなければ、僕はこの作品を意味が分からないものとして、読み流していたかもしれない。
東浩紀の、あるいは作中の登場人物の読みが適当なのかはわからないが、興味深いとおもった。